断絶覚え書き

書いたり書かなかったり

ADHDがわかるまで

昨今、インターネットではADHDという単語を目にする機会も増えてきたと思います。

その傾向などが羅列されたツイートや記事を見かけるたびに「あれ?もしかして私ADHDかしら」と思う方も多いんじゃないでしょうか。

今日は僕がADHDだとわかるまでにどのような経緯を辿ったのか。そんなところを残しておこうと思います。

 

僕は、そもそも鬱の症状を自認して心療内科へ足を運びました。夜寝れないだとか、単純に気分が落ち込んで動けない。とか。そういう症状です。

これが2017年末ごろの話です。

6年弱同棲していた彼女に浮気され、暴力、暴言を浴びせられ精神的に参ってしまって別れた直後の話です。

好きだの嫌いだのではなく、単純に殴られたり、蹴られたり、日常的に罵倒されたりなどの日々を3ヶ月ほど受け、僕は到底僕を保てない状況でした。

真っ当な判断もつかず、人間を信じることはおろか、自分の枠組みさえ不確かな時期でした。

家に帰れば思い出よりも恐怖がフラッシュバックし気が狂いそうになるので家にも帰れません。毎日家はあるのにホテル暮らしをするというわけのわからない状況でした。お金が湯水のように飛んでいきました。

幸い、仕事は証券会社の営業でしたので、淡々と仕事をすれば周りに迷惑をかけるようなこともなく綱渡りのような生活でした。

これって、男女のパターンが逆だったらDVだのなんだので大騒ぎなんでしょうけど、この場合被害妄想で済まされるみたいですね。

まぁなんにせよ、このままではいつ死んでもおかしくないと焦った僕は病院に駆け込みました。

「薬でもなんでもいい。とにかく今の状況から抜けないと大変なことになる。」

そんな気持ちだけで、藁にもすがる思いで予約の電話をかけたのを覚えています。

 

慣れていない心療内科につくと大勢の人が並んでいました。

なんとも困っている人はたくさんいるのだな。とびっくりしました。

診療の結果、鬱とPTSDの診断を僕は受けました。

 

PTSDは俗に言うトラウマです。

フラッシュバックが消えないこの病気はなかなか治らず早い人で2〜3年の治療が必要とのことです。

僕は愕然としました。これが2、3年も続くのかと。

僕は恐怖しました。思い出すたびに震えて息ができなくなることがこの先数え切れないほどあるのかと。

鬱症状はそこからくるというものでした。

 

そこで同時に先生からはこんなことも言われました。

「仕事中困ったりすることはない?例えば同時に作業できないとか。物忘れがひどいとか。」

先生の挙げる「困ること」というのは僕が日々思っていることをそのまま言われたようで、ただただ頷くだけでした。

「ADHDの気があると思うからよければ別の日に検査だけでも受けてみようか。」

先生の言うがままされるがままに翌週テストを受けました。

先生とは別のまた新しいカウンセラーのお姉さんと対面で「WEISテスト」というものを受けました。

これがなかなかどうして難しくて、言葉を説明したり、パズルをしたり、間違い探しをしたり…

2時間ほどをかけようやくテストは終わりました。

結果は知っての通り特性あり。つまり高い確率でADHDだろう。とのことです。

7項目くらいのテスト内容なんですが、その数値の出来不出来が激しいとADHDと診断されるそうです。

僕は数字・言語はとにかく得意だけれども、人の感情を読み取ったり、耳から入ってくる情報を処理するのが異常に苦手だということでした。

また集中力が低く、意識がいろんなものに移り変わりやすい。というのもADHDの特徴だそうです。

まさしく僕はそうで、仕事中上司が僕に話しているにも関わらず他の人に声をかけられるとそっちに意識が行ってしまい叱られるという状況は多々ありました。

この結果を受けて僕は「でしょうよ。」という感想以外何もなかったです。

言われてみればADHDという単語をネットで見かけて、その特徴を見るたびに「僕のことなのか?」と思っていましたので、今回のテストはいわば答え合わせのようなものでした。

何度か通院しているうちに今度は自閉スペクトラムの気があると言われ、ネットスラングおなじみの「アスペ」ではないか。ということになりました。

異常に固執したりする側面はまさしくそうなんだそうです。

とはいえ、先生が言うには自閉症自体がスペクトラム、つまり重〜軽度がグラデーションのようになっており明確にテストして診断というのがしにくいそうです。

 

そこから、投薬をはじめ、現在にいたります。住むところが変わってしまったので先生も変わりましたが、基本的には変わらず薬を飲んでいます。

効果が出ているのかどうかは正直まだよくわかっていません。飲んでいる薬がストラテラというもので、コンサータより効きは遅いそうなんです。

 

前置きが長くなりましたら僕がADHD、ないしASDがわかるまでの経緯はこんな感じです。専門のかたから見たら話したらすぐにわかるそうです。「あっ、ADHDだな」とか。

 

いまだに僕を壊した彼女のことを許すつもりはないし、今のところPTSDも消えずに度々壊れそうになりますが、どうにか今はまだ生きてます。ADHD自体、生活の工夫や投薬、またその両方で人生をうまく回すことができる障害です。もし生き辛いな。と感じて我慢するくらいなら病院に行って解決策を考える方がいいと僕は思います。

 

2000字を超える文章を夜中に書いてるのも変な話ですけど今回はこれで終わりです。