読書感想文「孤独も板につきまして」
最近僕はハリネズミを飼い始めた。もうとにかく可愛くてたまんないんですけど、ハリネズミはびっくりするくらいビビりで、最初はなかなか慣れない。針をたて「フシュゥ」と声を出す。
この本を読んでふとハリネズミを連想してしまった。
タイトルだけ見ると「処世術」の話かとおもいきや希望と怒りが複雑に混在した自叙伝だと感じた。
孤独であることとその葛藤を書いている。家族との不和、人間との不和、社会との不和。僕は彼女と会ったこともないけれど、それでも深く頷くところばかりだった。
そうして読んでいくなか、決定的に彼女と僕の違うところが頭の中で目立つようになった。
彼女は「他人と長い付き合いができない。」と作中でこぼしている。僕もまさしくそうだ。頻繁に会ったり連絡がこないと、以前はとても仲が良かったのに全然興味がなくなる。それは彼や彼女に問題があるのではなく、明らかに僕を発端としたものだと思う。
ニュアンスは違うかもしれないけれど、あたそさんも似たようなことを言っている。
それでも彼女は人と繋がる。誰かと遊び、誰かと話す。僕にはないことだ。興味本位や面白半分でコミュニティに参加することはあるけれど、ここまで能動的に他人と接点を持つことのない僕には衝撃的だった。
僕も思ったことは深く考えず口に出すし、はっきりものを言わない人はめんどくさくて嫌いだし、一人の方が何かと気が楽で旅行や趣味もほとんど一人でする。恋人もいたし、現に今は結婚しているけど、非常に個人主義的なものだ。好きな時に家を出ていき、好きな時間に帰ってくる。妻もそうだ。だけど僕は人間と積極的に関わろうとしない。
大前提として、僕はあんまり人間のことを信用していない。同じ日本語を使ってるのに全然通じない人はたくさん存在するし、たくさんエンカウントしてきた。話が通じない、が僕のストレスの中で最上位にくるので、そんな人たちに会いたくない。その一心で人間のことはあまり信用していない。その点動物はいい。喋らない。もしかしたら話が通じるかもなんていう希望を抱かせない。もちろん、話が通じないと感じるのは向こうも同じだと思う。なんでこいつ話が通じねぇんだろう。そう思わせるのも忍びない。インターネットなどで事前に会話ができそうか入念にチェックをしてからでないと会いたくない。そういう意味で僕にはインターネット経由の友達がほとんどだ。
ここからは完全に邪推だし、「会ったこともねぇオメェに何がわかんだ」と言われても仕方ないけど、あたそさんは人間が好きなのかもしれない。
好きだけれど、現実として社会には孤独を許容できる人は少ない。それらの人たちに悪意なき矢を撃たれ、その度に針を立てる。もしかしたら、うっすら針をたてながら生活しているかもしれない。
そんなところが僕にハリネズミを連想させたのかもしれない。
こんなちょっと偉そうなおじさんが言いそうな感想は僕も言いたくなかったし、本当に陳腐な気がして自分でも嫌気がさすけど、それでも僕の感想文なので、いいんじゃないかなと思いました。