断絶覚え書き

書いたり書かなかったり

死ぬほどいろんなことがありました。

お久しぶりです。

今回はまさしく覚え書き的な意味合いで綴ろうと思います。

ので、現状報告にとどめたいと考えています。

 

前回書いたときは秋で、まだ新しい職場についていない時期でした。

かれこれ半年が経とうとしているのですが20年分くらいのイベント盛りだくさんの半年でした。

 

まず、11月、僕は新しい職場、実家の居酒屋に戻ってきました。

居酒屋勤務が苦手なのはわかっていましたが、とはいえ行くところもなく、することもなく、実家の会社に役員として帰ってきました。

恐ろしいほどに仕事ができず、気が狂いそうになりながらも、それなりに生きてました。

えー、非常に言いづらいことではあるんですが、僕は2018年にいわゆる発達障害、ADHDとASDを診断されました。乱暴な言い方をすれば得手不得手の差が普通の人に比べて激しい病気です。ASDはいわゆる自閉症です。

僕の特性として、耳から入ってくる情報を処理するのが以上に遅い、マルチタスクが全くできない。大きな音に過敏である。同じ場所にジッとしていられない。等があります。正直苦手なものを列挙すればキリがないのですが代表的なもので言えば先に挙げたものが強かったです。

ささやかながら得意なことも存在はするんですが、あまり使う機会もないのでここでは割愛しますね。

そんなこともあって、居酒屋での仕事が不向きであることは火を見るより明らかでした。

 

そんな中、かねてよりお付き合いさせていただいていた女の子と結婚することになりました。

12月16日に籍を入れました。

別に何か記念日とかではなかったのですが、とりあえず入れておこう。という感覚で籍を入れました。

僕の障害にも理解があって本当にありがたい限りです。

そしてXデー12月29日。年末のクッソ忙しい時期。

僕は倒れました。

いや、そんなもったいぶって言う話でもないんですけど、とにかく痙攣起こして救急車で運ばれました。

人生初の救急車です。普通に家族とご飯を食べていたら急にです。

僕にはその前後の記憶がすっぽりと抜け落ちており、気がついたら病院のベッドでした。

文字通り、知らない天井です。

単純な痙攣でしたので大事にも至らずその日に帰ってきました。

理由としては色々あるのですが脳みそが過負荷に耐えきれずショートしたそうです。

両親はビビり上がり、僕が以前より「死ぬほど苦手な分野の仕事なので覚悟はしておいてほしい。」と伝えていたことをようやく本気に捉えてくれたみたいです。

そんなこんなで年明け、現在にいたります。

職場では主に内側のことをするようになりました。

現場がついてこない。とか考え始めたら死んじゃいます。それどころじゃない。

あと、色々思うこともありました。

あの日倒れた時にもしそのまま意識が戻らなかったらめちゃくちゃ安楽死だな。かくも噛み合わない世界と離れられると考えると期待値高いんじゃないかな。とも思いました。

それくらいかな。とどめておくことは。

あ、あと、着物が着れるようになりました。