断絶覚え書き

書いたり書かなかったり

電遊奇譚 感想文

 

電遊奇譚 (単行本)

電遊奇譚 (単行本)

 

 先日フォローしてる人から薦められて読んだ。が、ここ最近彼の名前はインターネットの端々で見かけていてずっと気になっていた作家さんだ 。

ゲーマーである彼のエッセイというか、事実連載していたコラムをまとめた本で1話完結で全26話が載っている。どの話も高校生活の1/2をネトゲに費やした僕には親和性の高い話ばかりで時に自分を重ねて読むことができた。

 

読んでいて気づいたところがあった。それは内容もさることながら、文章の視覚的な部分だ。

癖のある言い回しは好みが分かれそうだな。と思い読んでいたが、特に「おっ」と感じたのは意図的とも思える無変換だ。「一応」を「いちおう」と書いたり。そういうところが僕の琴線に引っかかった。僕はそれらを見るとたまらなく気持ち良くなってしまう。文章を画像として、記号として、視覚的に捉えた時にそういう画面の中に柔らかいところがあると非常に落ち着く。どんなに堅苦しい文章でほとんど古語のような長文であっても無理な変換をしない。そういう画像としての文章の落ち着きというのは僕の中で非常に大事な要素になっている。

もちろん読んだ時の音としてのリズム、というのは周知のように存在する。詩が最たる例だ。これは、完全に偏見のメガネをかけて言うので真に受けないで欲しいんだけど、音を整えるのは女性作家の方が得意な気がする。逆に画面を整える文章という意味では男性作家の方が比較的得意なように感じる。もちろん例外はあるし十把一絡げで言うつもりはないが、少ない読書量をサンプルとしてあげるのであればそうだと思う。

柔らかい画面にしようとした結果、化粧品売り場の匂いがするような文章もあれば、逆に濃厚豚骨背脂マシマシみたいな文章もある。この辺りのバランス感覚っていうのは読者の好みにも左右されるが、100年経っても読まれるような本は往々にしてバランスが取れている。

僕があまりそのような話を聞かないだけで、物書きの人にとっては至極当然で当たり前の話なのかもしれない。あるいは、僕が気にしすぎているだけなのかもしれない。

 

いずれにせよ文章を書くって難しいと思う。特に昔あったことを書くのは根気と体力がいるだろうなと思う。僕なんか昔あった事実を書こうと思っても途中で「これ話した方が早くない?」と心が折れてしまう。最後まできっちり書き上げると言う時点で何よりも尊敬の念をむけてしかるべきだと感じる。

 

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ (早川書房)

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ (早川書房)

  • 作者:藤田 祥平
  • 発売日: 2018/04/30
  • メディア: Kindle版
 

 

それはそうとこれはKindleで出てるのですぐさま買ったけど、先の電遊奇譚は電子版がなくて単行本を注文した。

アマゾンで見たときは「んだよ〜。Kindle版ないのかー。」と思ってたけど、いざ紙で届くとワクワク度合いが違うな。スペースの関係でどうしても電子書籍になりがちだけどたまには本を買おうと思いました。