断絶覚え書き

書いたり書かなかったり

急だが引っ越しをした。

前触れがなかったわけではないが、いずれにせよ引っ越しの話は唐突に決まり、そして走るように引っ越しをした。

間取りは3LDK、以前よりはるかに広くなった。

思い返すと大学生の頃の下宿先に始まり留学中のルームシェア、社会人になってからの部屋全てがタコ部屋みたいな、「THE一人暮らし」という家だった。いや、あれらは家というより「鍵付きの部屋」という感覚の方が正しい。そして僕はそれに満足していたし、それ以上の空間を求めたりすることはなかった。結婚をしてからもそれは変わらず、今までよりはいくばくか広い部屋に住むようになるものの二人で暮らすのにそんなスペースいらんやろ。と思っていた。

色々な思惑の末に引っ越すことになったのだが、引っ越しを決断した最大の理由が「ペット可」であるということだ。

僕らはとにかく犬や猫が飼いたくて仕方なかった。特に僕は父親が動物が苦手ということもあり、家で動物を飼うことはなかったのでその思いは一際強かった。

ただ、一人暮らしの身空で動物を飼うのは難しい。まして自分の世話も十分に見れない人間が。と思うと申し訳なく飼うなんて思いもしなかった。

 

そんなとき、お義母さんが懇意にしている動物病院で、はちゃめちゃに可愛い保護猫の里親を募集している話をうけた。

こちらの準備は整っている。

前情報では「男性がとにかく苦手な男の子。以前トライアルで1週間行った先でもおじさんが無理すぎて出戻りした。」とのこと。

僕は足掛け30になるおじさんだ。認識に差異はあれど、30歳はおっさんです。これは本当に僕を含め20代後半以降の人たちに教えておきたいけど、おっさんです。

とはいえ、大丈夫だろうという楽観的な見方からとりあえず1週間トライアルを受けることに。

動物病院の方々に1年近くとにかく可愛がられたみたいで、全員に甘え放題。ただ、僕らにはなかなか近づかない。

家に連れ帰りケージから出した途端、「この家、そんなとこに隙間あったんや」という隙間に入り込んで出てこない。色々した挙句引きずりだすも

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この状態からビビり散らかして本当に出てこない。twitterでも困っていたら「ほたっといたらいいですよ」とのこと。如何せん何もかもが初めてなので気が気じゃない。

とりあえず寝て翌朝様子をみよう。

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で、翌朝がこれ。心の開き方がガバガバでちょっと飼い主の方がついていけてない図です。前回のトライアルで出戻りするほど男ダメやなかったんか。と混乱してしまいましたが、なんにせよ受け入れてくれてよかった。おばさん認定されたのかもしれない。

 

と、これを書きながらも「可愛いやろが。な?」とニヤニヤしています。

1週間経ったので動物病院へ電話をかけよく懐いてくれているのでこれからも一緒に暮らす旨を伝えると、電話越しにスピーカーホンになってるのかってくらいでかい声で「えっ!!!!男の人に懐いたんですか!!!!」とのこと。これは自慢です。

 

 

ちょっと書き出すと止まらないのでこのあたりで。今回は飼ったことだけ伝えたかったので。

あ、名前はコタロウです。歳は推定6歳くらいとのこと。頑張って無限に生きてくれー。

 

「いまだ、おしまいの地」 読書感想文

 

いまだ、おしまいの地

いまだ、おしまいの地

  • 作者:こだま
  • 発売日: 2020/09/04
  • メディア: Kindle版
 

僕は九州の田舎に住んでいる。灰色の街だ。嫌いじゃないけど、好きでもない。そんなところで、いまだ終わらぬ戦いはあるけれど、元気にニコニコ暮らしてる。

そんな僕はいくばくかの読書を楽しみにしている。こだまさんの新著が出た。買おう。読もう。

 

実は、読むぞ!といった矢先、こだまさんから「メルヘンさんには申し訳ないんだけれど、メルヘン(仮名)が出てくる。あなたではないので安心してほしい。」とのリプライをいただいた。

俄然興味が湧いてくる。どんな悪い奴が出てくるんだ。

届いてすぐに、取り急ぎ件のメルヘンが出てくる話を読んだ。

こだまさんがメルヘン(仮名)さんにお金を騙し取られる話なんだけれど、とにかく変な声を出して笑ってしまった。メルヘンって文字にすればするほど、まるで僕がお金をだまし取ったみたいに見える。なんて悪い奴なんだ。

討伐隊が編成され彼の実家におしかけ、お金を返してもらう。なんて愉快。なんて痛快。

 

落ち着いて頭から読み始めると、どの話もクスッと笑える。だけど人生のどこかの場面がフラッシュバックするような、まるで遅効性の毒をもられているような。ある種の中毒性を感じた。

 

以前も感想文に書いたことがあるけれど、こだまさんとは性別も違えば、年齢も違う。人生で言えば大先輩だ。感覚や考え方だって決定的に違うところばかりだろう。全然全く違う。だけど、違うからこそ、同じ。違うということが同じ。僕はその感覚に心臓を掴まれている。

 

そしてそれでもなお、こだまさんに僕が救われているのは、エピソード全てがカラッとしているところだと思う。

どんなに重い話も、カラッと乾いた感覚が僕を笑いへと誘うし、僕を救う。

 

 

近所の古い映画ばかりを放映している映画館で「男はつらいよ」特集が今やっている。壁に貼ってあるPOPの寅さんが「やり直せない人間なんているかよ」と言っていた。まさにその感覚に近い。

こだまさんは寅さんとは似ても似つかない。悩んだり落ち込んだりしてる。それでもやっぱり、「やり直せない人間なんているかよ」と言われてるような気がする。

今回の話では随所に衝動的?とも言える行動をとるこだまさんが描かれているけれど、まさしく寅さん的であり、嫌なことがあっても最終的にカラリとした雰囲気に転化してくれる。

 

 

僕とは全然違う場所に住んでいる。聞くところによるとすごく寒いところらしい。しかも山。そんなことないんだろうけど、マタギみたいなのを想像してしまう。いや、もしかしたらマタギなのかもしれないけれど。そんなこだまさんから発せられる、流れのゆるやかな文章はとても体にしみる。

まだまだ書いてほしいし、まだまだ読みたい。けれど、お体には気をつけてほしい。

 

 

 

 

 

あと、個人的にお母さんがハワイ旅行にいくことになった経緯はとても好きでした。「嘘みたいな本当の話」ってのは往々にしてあるけれど、ここまで完成度の高いのは初めてでした。

 

 

 

電遊奇譚 感想文

 

電遊奇譚 (単行本)

電遊奇譚 (単行本)

 

 先日フォローしてる人から薦められて読んだ。が、ここ最近彼の名前はインターネットの端々で見かけていてずっと気になっていた作家さんだ 。

ゲーマーである彼のエッセイというか、事実連載していたコラムをまとめた本で1話完結で全26話が載っている。どの話も高校生活の1/2をネトゲに費やした僕には親和性の高い話ばかりで時に自分を重ねて読むことができた。

 

読んでいて気づいたところがあった。それは内容もさることながら、文章の視覚的な部分だ。

癖のある言い回しは好みが分かれそうだな。と思い読んでいたが、特に「おっ」と感じたのは意図的とも思える無変換だ。「一応」を「いちおう」と書いたり。そういうところが僕の琴線に引っかかった。僕はそれらを見るとたまらなく気持ち良くなってしまう。文章を画像として、記号として、視覚的に捉えた時にそういう画面の中に柔らかいところがあると非常に落ち着く。どんなに堅苦しい文章でほとんど古語のような長文であっても無理な変換をしない。そういう画像としての文章の落ち着きというのは僕の中で非常に大事な要素になっている。

もちろん読んだ時の音としてのリズム、というのは周知のように存在する。詩が最たる例だ。これは、完全に偏見のメガネをかけて言うので真に受けないで欲しいんだけど、音を整えるのは女性作家の方が得意な気がする。逆に画面を整える文章という意味では男性作家の方が比較的得意なように感じる。もちろん例外はあるし十把一絡げで言うつもりはないが、少ない読書量をサンプルとしてあげるのであればそうだと思う。

柔らかい画面にしようとした結果、化粧品売り場の匂いがするような文章もあれば、逆に濃厚豚骨背脂マシマシみたいな文章もある。この辺りのバランス感覚っていうのは読者の好みにも左右されるが、100年経っても読まれるような本は往々にしてバランスが取れている。

僕があまりそのような話を聞かないだけで、物書きの人にとっては至極当然で当たり前の話なのかもしれない。あるいは、僕が気にしすぎているだけなのかもしれない。

 

いずれにせよ文章を書くって難しいと思う。特に昔あったことを書くのは根気と体力がいるだろうなと思う。僕なんか昔あった事実を書こうと思っても途中で「これ話した方が早くない?」と心が折れてしまう。最後まできっちり書き上げると言う時点で何よりも尊敬の念をむけてしかるべきだと感じる。

 

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ (早川書房)

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ (早川書房)

  • 作者:藤田 祥平
  • 発売日: 2018/04/30
  • メディア: Kindle版
 

 

それはそうとこれはKindleで出てるのですぐさま買ったけど、先の電遊奇譚は電子版がなくて単行本を注文した。

アマゾンで見たときは「んだよ〜。Kindle版ないのかー。」と思ってたけど、いざ紙で届くとワクワク度合いが違うな。スペースの関係でどうしても電子書籍になりがちだけどたまには本を買おうと思いました。

 

 

 

積読こそが完全な読書術である 感想文

 

積読こそが完全な読書術である

積読こそが完全な読書術である

  • 作者:永田 希
  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

本を読むたびに思う。どこまで理解できているのか。間違った解釈をしてないか。

こんな風に感想文をネットにあげるたびに少し著者の顔色を伺ってしまう自分が消えない。

そんなことを思いながら、同時にそれの言い訳が補強されるような本だった。

 

タイトルからして人間を許容した非常に懐の広い本なんだろうな。 そう思い読むとこれがなかなか「本を読んだ。」ということに焦点の当てられている。

主に3著を引用し話が進む。

その全てが「本を読むとは」という本質的な話がされており、時代はバラバラの3冊だけれど、どれも現代で考えるべき内容だと思う。

 

 

読みながらずっと思ってたのは「読書って非常にローカルな動きだな」ということ。

ほとんど全てがオンラインでどこかで誰かと繋がっているのに対して、読書はその質に関わらず個人で完結する。

僕は、そういう意味で「読書」が好きだなと毎度感じる。先にも書いたように、感想文を書いたりするとやっぱり「全然意図が汲み取れてなくてバカにされちゃうんじゃないかな。」なんて思いも頭を過ぎる。でも、結局読むのは僕で、テリトリーに入ってきた瞬間に情報は大なり小なり著者の意図とは変質するのでそこらへん気にするのはバカバカしいんだろうな。と思う。

 

 

本書では積読はビオトープだという。

問題はいかに他律的ではなく自律的なものを作るか。情報が氾濫している中でいかに自分で環境を構築するか。それはなんだか畑を耕す作業のような感覚だなと思う。

 

 

流石にちょっと実家にある大量の積読を自律的に耕さなきゃなと強く思いました。まだ読むとは言ってない。

 

 

 Twitterで書くには少し長くなりそうだったのでこっちに書きました。

読書感想文「孤独も板につきまして」

 

孤独も板につきまして  気ままで上々、「ソロ」な日々

孤独も板につきまして 気ままで上々、「ソロ」な日々

  • 作者:あたそ
  • 出版社/メーカー: 大和出版
  • 発売日: 2020/02/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

最近僕はハリネズミを飼い始めた。もうとにかく可愛くてたまんないんですけど、ハリネズミはびっくりするくらいビビりで、最初はなかなか慣れない。針をたて「フシュゥ」と声を出す。

 

この本を読んでふとハリネズミを連想してしまった。

 

 

タイトルだけ見ると「処世術」の話かとおもいきや希望と怒りが複雑に混在した自叙伝だと感じた。

孤独であることとその葛藤を書いている。家族との不和、人間との不和、社会との不和。僕は彼女と会ったこともないけれど、それでも深く頷くところばかりだった。

そうして読んでいくなか、決定的に彼女と僕の違うところが頭の中で目立つようになった。

彼女は「他人と長い付き合いができない。」と作中でこぼしている。僕もまさしくそうだ。頻繁に会ったり連絡がこないと、以前はとても仲が良かったのに全然興味がなくなる。それは彼や彼女に問題があるのではなく、明らかに僕を発端としたものだと思う。

ニュアンスは違うかもしれないけれど、あたそさんも似たようなことを言っている。

それでも彼女は人と繋がる。誰かと遊び、誰かと話す。僕にはないことだ。興味本位や面白半分でコミュニティに参加することはあるけれど、ここまで能動的に他人と接点を持つことのない僕には衝撃的だった。

 

僕も思ったことは深く考えず口に出すし、はっきりものを言わない人はめんどくさくて嫌いだし、一人の方が何かと気が楽で旅行や趣味もほとんど一人でする。恋人もいたし、現に今は結婚しているけど、非常に個人主義的なものだ。好きな時に家を出ていき、好きな時間に帰ってくる。妻もそうだ。だけど僕は人間と積極的に関わろうとしない。

大前提として、僕はあんまり人間のことを信用していない。同じ日本語を使ってるのに全然通じない人はたくさん存在するし、たくさんエンカウントしてきた。話が通じない、が僕のストレスの中で最上位にくるので、そんな人たちに会いたくない。その一心で人間のことはあまり信用していない。その点動物はいい。喋らない。もしかしたら話が通じるかもなんていう希望を抱かせない。もちろん、話が通じないと感じるのは向こうも同じだと思う。なんでこいつ話が通じねぇんだろう。そう思わせるのも忍びない。インターネットなどで事前に会話ができそうか入念にチェックをしてからでないと会いたくない。そういう意味で僕にはインターネット経由の友達がほとんどだ。

 

 

 

ここからは完全に邪推だし、「会ったこともねぇオメェに何がわかんだ」と言われても仕方ないけど、あたそさんは人間が好きなのかもしれない。

好きだけれど、現実として社会には孤独を許容できる人は少ない。それらの人たちに悪意なき矢を撃たれ、その度に針を立てる。もしかしたら、うっすら針をたてながら生活しているかもしれない。

そんなところが僕にハリネズミを連想させたのかもしれない。

 

 

 

こんなちょっと偉そうなおじさんが言いそうな感想は僕も言いたくなかったし、本当に陳腐な気がして自分でも嫌気がさすけど、それでも僕の感想文なので、いいんじゃないかなと思いました。

 

 

 

「死にたい夜にかぎって」寛容ということ

 

死にたい夜にかぎって

死にたい夜にかぎって

  • 作者:爪 切男
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 実は、爪切男さんのことは随分と前、それこそ10年近く前からその存在を知っていた。この本に関しても発売された当時から知っていた。なんなら本屋で冒頭を読んだのを覚えている。

 

さわりの部分を読んで僕は強烈な吐き気に襲われて買えなかった。誤解のないように言っておくと、爪切男さんに問題があるわけではない。100%僕側の問題だ。

 

当時僕は6年同棲し婚約をしていた彼女にこっぴどく振られた直後だった。僕の脳みそは瓦解し、その形をとどめることすらできなかった。そんな状況だった。

そんな時に「死にたい夜にかぎって」の冒頭。本屋で発狂するかと思った。あれから2年弱、僕は違う人と結婚をした。

このタイミングなら行けるかもしれない。と読み始めることに。正直、以前ほどのダメージはなかったけれど、それでも辛いことには変わりなかった。ただ今回は衝撃や驚きの方が多かった。

 

「アスカ」との別れからスタートするこの話。道中は彼の恋愛遍歴、そして冒頭のシーンに戻ってくる。

 

通じて爪さんの寛容さ、というか優しさで綴られる文章。恨み節がない。どんなに辛いことがあっても「まぁいいか」でおさめられる強さ。精神のしなり、タフネス。往年のプロレスラーのようなその精神性。

僕にはとにかく衝撃だった。なんでこんなにも世界とのズレを許容しながら、柔軟に生きれるのか。

 

僕はこういう柔軟性というのが欠けている。理不尽には人一倍敏感だ。幼い頃に受けた理不尽は今でも記憶に残っているし、おそらくこれからも一生忘れない。他人からひどい扱いを受ければ死に際の床でも思い出すだろうし、今でもふと脳裏をよぎる。時間が解決してくれるという選択肢がない。僕の異常性の最たる部分がここだと思う。普通の人は薄れるらしい。

 

爪さんは違う。薄れるだのそんな話じゃなく感じた。例えばアスカに振られ、不遇を強いられる場面でも「まだ好きなんです。」と心の一番柔らかいところを見ず知らずのホームレスのおっちゃんに告白したりする。目頭が熱くなるほどに素直だ。別れた時点でおそらく30超えてるはずなのに。こんなにも人間は素直で、そして柔軟でいられるのか。僕には衝撃だったし、羨ましくもあった。僕は結婚してもどんなに幸せになっても、それでも過去にえぐられた古傷を見つめては憎悪と恐怖に溺れるというバカバカしい行為を今でも続けているというのに。

 

僕にあぁはなれない。でも、それでも、そういう生き方を渇望するし、憧れる。

パチンコを打ちながら読んでいたのだけど、ついに読み終えたとき、不覚にも泣いてしまった。なんの涙かはわからない。羨ましいからなのか、悲しいからなのか、説明のつかない涙だった。はたから見たら負けすぎて泣いてるヤバい奴でしかなかった。

 

僕も、自分と世界のズレに対してもう少し寛容でありたい。そうすれば、「世界を変えるか死ぬか」なんてバカみたいな2択にぶち当たる機会も減るだろう。

 

 

爪切男さんの爪の垢煎じて飲もうかな。

 

才能だの自己肯定感だの

ここ最近自分を鼓舞するように、努めて自己評価を高くするようにしている。

Twitterでもそんな風なことをたくさん言って自分を塗り固めている。

 

さて、僕は基本的に何不自由なく生きてきた。個人的にお金に困ることは幾度となくあったけど、大きなスケールで困ったことは一度もない。幼少期の虐待や、いじめ、学生時代のつらい経験、そういうのを一切経験していない。

加えて僕には特筆した才能が一つもない。才能というと驕りに聞こえるかもしれないけれど、人生の中で何か必要に迫られることがなかったし何かに縋る必要もなかった。

母親の子宮から飛び出した、その慣性の法則のまま28年間を生きてきてしまった。

 

ふと気づく。ポケットに何も入ってないなって。「僕は何もない人間なんだ」と嘆くつもりはなくて、淡々と自分の中だけでも胸を張って言える「僕はこれができます。これが好きです。」が一つもないことに気が付いた。

 

最近文芸系統の同人誌や雑誌を縁があってよく目にする。「こんなすごいのにまだアマチュアなの?」と驚くことばかりだ。年齢もそんなに変わらなかったりすると一層打ちのめされた気分になる。急に僕の吐く言葉すべてが陳腐なものに思えてきておいそれと口を開けなくなる。

 

おそらく多くの人がこんな感じなんだと思う。胸を張って「これが好きです!これができます!」といえる人は明らかに少数派だと思う。でも、それでも、そう言い切れる人は僕から見るととてもまぶしく見える。

 

 

僕は単純だ。豚もおだてりゃ~じゃないけど、褒められたら素直に喜ぶし、そうなんじゃないかと信じる。けど、大人になって褒められることなんてそうそうない。そもそもあんまり褒められたことがない。そこで生前の祖父の言葉を思い出した。祖父はことあるごとに「僕はね。優しい人間だよ。」と言っており、僕の「おじいちゃん、それ自分でいうやつじゃないよ。」というセリフに「誰も褒めてくれないから自分で褒めるんだよ。」と目を細めていた。

そうなんだよね。誰も褒めてくれないなら自分で褒めるしかない。自分でおだてるしかない。もしかしたら最初はなじまないかもしれないけれど、何度も言っていくうちにそうなっちゃうかもしれない。

もしかしたら僕は気づいてないだけでポケットに色々入ってるのかもしれない。